みんさん、こんにちは。
ふじみ野市でITサポートを行っているSORAの関口です。
IT(情報化)と自然は、デジタルとアナログで真逆の関係ですが、これから、IT・デジタル化が発展すればするほど、人には、自然に触れるなどアナログの場が求められるようになります。
なぜならば、デジタル化が発展すればするほど、人間の心に”ゆとり”がなくなるからです。
インターネットが普及する前、パソコンやシステムがインターネットに繋がり、すべてがオンラインで処理できる情報化社会になれば、業務は効率的になり、仕事や生活に”ゆとり”がうまれると信じられていました。
そして、情報化社会となりましたが、実際のところはどうでしょうか?
全てのシステムがつながり、私達はスマホという情報端末を手にすることができました。いつでも・どこでも・誰とも、リアルタイムでつながることができるようになりました。
しかし、心に”ゆとり”がうまれるどころか、日々、情報と時間に追われ、逆に以前より心の”ゆとり”はなくなっているのではないでしょうか。
これからもIT・情報社会は発展していきます。その社会のなかで、情報に追われることなく、”思考”と”心”のゆとりを取り戻すために自然や農との関わりが必要になると思います。
今回は、情報化社会を生きる私達に、農・自然との関わりが必要になる7つの理由をご紹介します。
理由1:雄大な自然を見つめ心を解放する
情報社会の人間が1番見つめているものが、パソコンやスマホのディスプレイです。
電車の車内をパッと見てると、スマホを見ている人が大半です。ディスプレイの性能も向上し、ディスプレイは高解像度化が進み、とっても綺麗に表示されるようになりました。でも、どんなにディスプレイに綺麗に表示されたとしても、やっぱり本物の自然の光景にはかないません。
車内の光景を見ていると、ヒマラヤで観光ガイドをしている方から聞いた話しを思い出します。
「この広大のヒマラヤ山脈を前にして、なぜ、日本人はカメラの狭い画面をとおしてでしか、ヒマラヤを見ようとしないのか?」
彼がヒマラヤ山脈に日本人のツアー客を案内すると、多くの人は写真撮影ばかりに専念して、心から雄大な自然を感じられていないと嘆いていました。
青空の下、木陰でそよ風を感じる。なんとなく懐かしい田舎の光景。
皆さんは雄大で優しい自然に出会ったとき、心がフッと軽くなった経験はありませんか?目の前に広がる、雄大で優しい景色を見たときに、心は自然と解放されます。
理由2:全身を使って体と心を柔軟にする
Close up person using smartphone / Japanexperterna.se
パソコンやスマホを操作しているときは指先だけが動いています。しかも、画面に集中していると、首や腰に負担がかかっていることを忘れて、何時間も同じ姿勢で操作をしてしまいます。
人間の体は動かすようにできています。ひとつの画面を見続け、何時間も同じ視点と姿勢でいると、体に負担がかかると同時に、心も閉塞的になっていきます。
自然の中での体験は全身を使います。久しぶりに全身を使うとキツいこともありますが、全身を使うことで不思議と心は解放的になっていきます。
心と体は連動しています。体がかたまれば心もかたまります。逆に体がやわらかくなれば、心も柔軟になります。
理由3:すべての感覚をつかうこと
情報化社会の特徴として、入ってくる情報(刺激)のほとんどが視覚・聴覚になります。WebページやSNSのほとんどが写真+文字情報です。(このBlogも文字情報です)最近は、Youtubeなど動画が見えるようになり聴覚も使うようになりました。
人間には五感が備わっています。視覚・聴覚以外にも、嗅覚・味覚・身体感覚(皮膚感覚・運動感覚・平均感覚)があります。
みなさんがパソコンやスマホと向き合っているとき、この感覚を感じることはできているでしょうか?
自然の中に身をおくと、風を肌で感じて、鳥のさえずりを聞いて、近くで咲いている花の香りを嗅いで、大地に育つ旬の作物を味わえます。
複数の感覚で自然を感じると思考はクリアになっていきます。
人間の脳は、すべての五感を感じることで活性化すると言われています。散歩をすることで、新しいアイディアが閃きやすいと言われるのも、歩く動作+自然を五感をとおして感じことで、脳が活性化されるからです。
人は悩んでいるとき、落ちこんでいるとき、ひとつのことしか見えていません。そんなときは、五感をとおして自然を感じることで、今までは異なる物事が見えるようになるものです。
理由4:自然の時間を取り戻す
子供たちに大ブームのマインクラフト(以下マイクラ)。
以前、農業体験にきた子が「麦なんて育てるの簡単だよ!」と自信満々に教えてくれました。その子の話しを詳しく聞いてみると、マイクラの世界の中での話しでした。マイクラの世界の中では、麦を種をまくと30分もしないうちに実りの時期を迎えます。
でも、自然界のなかで、実際に麦を育てるには、種を蒔いてから実りを迎えるまで6ヶ月必要です。
情報化社会の特徴は、様々な情報がリアルタイムに入ってくることです。それは、”時間の感じ方”が短くなっているということです。だから、情報化社会の私達は”時間”と”情報”に追われるようになりました。
しかし、これからどんなに情報化社会が発展しようとも、畑に麦の種を蒔いて、実りを迎えるには6ヶ月間必要です。その”成長の時間”は100年前も100年後も変わりません。なぜならば、それが自然の時間の流れ(摂理)だからです。
情報化社会だからこそ得られるメリットも沢山あります。例えば、このBlogを読んでいただけるのも情報化社会の恩恵です。
しかし、情報化社会に追われる必要はありません。
もし、日々心に”ゆとり”がないと感じるときは、1日でもいいので、自然の中に身を置いて、自然のリズムを取り戻してみてください。
ミヒャエル・エンデのモモの一節を紹介します。
時間をケチケチする事は、本当は全然別のなにかにケチケチしている事に誰ひとり気付いていないどころか、自分達の生活が日ごとに貧しくなり、日ごとに画一的になり、日ごとに冷たくなっている事を、誰ひとり認めようとしない。
けれど、時間とは生きるということそのものなのです。そして、人の命は心を住みかとしているのです。人間が時間を節約すればするほど生活はやせ細っていくのです。
~ミヒャエル・エンデ モモより抜粋~
理由5:リアルな変化を体感する
私がITエンジニアとして仕事をしてるとき、ある時から、仕事に達成感や充足感を感じられなくなっていました。
ITエンジニアの主な仕事は、システムを支える機器やプログラムの構築・設定変更や管理です。すべて作業はパソコンで行い、ちょっとでも文字を間違えると、システム全体が停止してしまう可能性がある気が抜けない作業です。
(このBlogを公開できるのも、そういった方々の日々の努力のおかげです。ありがとうございます。)
ITエンジニア・プログラマー・テクニカルライターなど、日々画面に向かって業務をする方々全般に言えることだと思いますが、自分が行っている業務の変化を感じられていますか?プログラムを修正すれば、Webページの表示やシステム上の変化は起きますが、画面の外に目をやったときに、自分の周りで、自分の人生で何か変わっていますか?
私が達成感や充足感を感じられなくなったのは、画面の中の変化ばかりで、自分の周りの実際の変化を感じられなくなっていたからでした。
これは、マイクラにハマる子ども達にも言えると思います。マイクラの中で、簡単に麦を育てられた場合には、麦を刈ることに何かを感じ得ることもできません。
以前、私が農業を手伝ったとき、達成感を感じられたのが”草むしり”でした。
最初、雑草でいっぱいの畑を見ると、正直うんざりするのですが、それでもひとつひとつむしっていくと、やがて心が無心(フロー状態)となります。そして、フッとしたときに自分が歩んできた畑を振り返ると、そこには”きれいになった畑”があります。この変化を感じたとき、心から達成感を感じることができました。
また、子ども達は”かぶ”の収穫よりも”大根”の収穫の方がいい表情をします。それは、簡単に抜ける”かぶ”よりも、力一杯抜かなくてはならない”大根”の方が達成感が大きいからです。
人は、ちょっと自分に負荷をかけて成し遂げたことと、その後に伴う実際の変化に達成感を感じるものです。
なんでも簡単にバーチャル体験ができる情報化社会だからこそ、実際に変化が伴うリアルな経験と達成感を感じることが必要になるのです。
理由6:自然界の1/fゆらぎと共振する
コンピュータ(デジタル)は0と1の組み合わせで、とても正確に動作します。(たまにはバグりますが・・・)。
その正確な動作のおかげで、私達はコンピュータシステムを信頼して使うができます。では、コンピューター使う私達人間はどこまで正確でいられるでしょうか?
デジタルの世界は0と1、YesとNoのどちらか2択の世界です。最近の人間関係にストレスが多いのは、YesかNoを人に求めすぎるからではないでしょうか?もちろん、YesかNoの選択も必要です。しかし、常に”正しさ”を主張され、選択を求められるのは苦しく感じるものです。
自然界には、1/fという”ゆらぎ”が存在しています。そよ風や鳥のさえづり、たき火の炎など、いろいろな”ゆらぎ”があります。そして、人間が1/fゆらぎを感じると、脳波がα波状態になりリラックス状態になります。
では、1/fゆらぎを感じると人はリラックスできるのでしょうか?これは私の考えですが、そもそも人間が”1/fでゆらいでいる存在”だからだと思います。
自然界の1/ゆらぎ感じたとき、リラックスと安心感を感じることができます。それは、心地良い音楽を聴いているときと同じ理由で、自然界と私達の波長が合うからだと思います。
デジタルは0と1の正確な波長です。しかし、自然界や私達人間はアナログの波長を発しています。CDのデジタル音よりもレコードのアナログ音の方が”深み”があるのは、波長に”ゆらぎ”があるからです。
自然に身を置くことで、自然界にながれる”ゆらぎ”と共振をすることとで、心は解放されるのです。
理由7:ふつうのご飯をおいしく食べる
1日中、画面に向かって仕事をしていると、自然を感じることもなくストレスが溜まります。
そして、ストレスが溜まるからストレス発散のために、夜の町で暴飲暴食をしたり、おいしいご飯を求めにいきたくなるものです。
ITエンジニアとして仕事をしている頃の私は、毎日そんな感じでした。
1日外で自然の中で活動をしているとヘトヘトに疲れます。でも、ヘトヘトに疲れた後に食べる、ふつうのご飯はなぜかおいしく感じるものです。ましてや、自分が春に種から蒔いた米を秋に収穫し、火を起し羽釜で炊いてて食べたときは、どんなお米より「おいしく」感じて深い味わいを感じるものです。
きっとデパートで売られている1等米と、自分達で育てたお米の成分を数値比較したら、1等米の方が”おいいしお米”と判断をされることでしょう。それが正確な結果だと思います。しかし、自分で育てたお米には数値では表せない味があるのです。それが”成長の過程”に関わったという深い味わいです。
情報化社会や合理化・成果主義、現代の私達には”結果”が求められるようになりました。もちろん、結果も大切です。
でも、どんな物事にも、結果という実りを刈り取るには、種を蒔き成長していく過程が必要です。また同じように米を育てても、その年の気候により不作にも豊作にもなります。その不確実性の中で育ち、無事に収穫を迎えられたからこそ、”成長の過程”を喜びを感じ、その成長に関われたから、深い味わいに変わるのだと思います。
毎日食べるふつうのご飯を、毎日美味しくいただけるようになると、食事前の「いただきます」に感謝の気持ちを感じられます。そして、ふつうのご飯に感謝を感じられるようになると、不思議と心がホッと安らぎを感じられるようになります。
でも、実際にところ、こう毎日が忙しいと、物事の成長の過程に関わる暇なんてないのが現状だと思います。そういうときは、結果の過程に想いを馳せてみてください。
例えば、今日食べるご飯。このお米は、どんなところで育ったのか?どんな人が育てたのかな?いつ種を蒔いたのかな?・・・とちょっとでも過程に想いを馳せイメージするだけでも、味覚は変わってくると思います。
最後に、仏教のひとつである禅宗が、食事の前に唱える五観の偈(ごかんのげ)をご紹介します。
【五観の偈】
まとめ
世界中に光ファイバーが張り巡らされ、無線通信技術が向上し、スマホを片手にもって、私達はいつでもどこでも誰ともリアルタイムでつながることができるようなりました。
情報化社会は成熟期を迎え、次に訪れるのは、インターネット上に集積されたビックデータを基したAI化(人工知能)です。それと同時に社会は情報化から知識化へとシフトしていきます。
これからの知識社会では、計算機が”そろばん”から”電卓”にシフトしたように、基本的なパターン思考・ロジック思考はAIに置き換わっていくと思われます。
ある大学教授が、「現在ある約700の職種のうち、今後10年~20年の間にAIにより自動化される職種の確率を計算したところ、47%の仕事がAIにより自動化される可能性が高いという結果になった」そうです。
その知識社会で人間に求められるのが、AIでは思考できないような”創造性”をひとりひとりが持つことです。
ただ、人の思考や心は【何かに追われゆとりがないと創造性を発揮することができません】だからこそ、これからのAIをはじめとするデジタル時代は、自然や農といったアナログの環境の中で、思考や心のゆとりを取り戻し、ひとりひとりが創造性を発揮できるようになることが、ここれからの社会には必要になると、私は考えています。
ちなみに、このBlogもIT関係の事を書いておりますがITの使い方や商品の紹介だけではなく、ITを使って、より人間の創造性が広げられるようなことを意識して書くようにしております。
長文を読んでいただき、ありがとうございました。
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